制度の外から介護の未来をつくる
──イチロウ株式会社の保険外介護と人材活用の挑戦
イチロウ株式会社
水野 様
・ご利用拠点:クロスコープ渋谷ネクストサイト
・入会時期:2025年7月~
創業の原点は、現場で感じた“制度の歪み”
― まずは創業のきっかけについて教えてください。
(水野様)私は20歳の頃から介護士として介護現場で働き始め、その後は現場で5年、マネジメントで5年と、約10年にわたって介護保険法に基づく事業運営に携わってきました。国がつくった介護保険という仕組みには、もちろん素晴らしい側面もたくさんありますが、その一方で、制度の枠組みが現場の実態や利用者・事業者のニーズに噛み合っていないと感じる場面も非常に多くありました。財政状況が厳しくなるほど、制度に従っているはずの現場の環境がむしろ悪化していくような感覚があり、『このままで本当に持続可能なのだろうか』という問題意識が強くなっていったんです。そこで、保険制度の内側だけで考えるのではなく、“保険に乗らない”形で新しい介護の仕組みやビジネスモデルをつくれないかと考えるようになりました。テクノロジーを起点に、介護の提供側・利用側双方にとって無理のない形で成り立つサービスを設計できれば、長期的には日本の介護の未来そのものを少しずつ変えていけるのではないか。そうした思いが重なり、現在のイチロウというビジネスを立ち上げ、保険外介護という領域にチャレンジすることを決意しました。
医療ソーシャルワーカーを志したことが介護の入口に
― 介護士というキャリアを選ばれたきっかけについて教えてください。
(水野様)もともとは介護そのものを最初から職業として強く志していたわけではなく、高校卒業時には病院で働く医療ソーシャルワーカーになりたいと思っていました。そのためには社会福祉士の資格が必要で、本来であれば大学に進学して勉強するルートが一般的なのですが、当時は家庭の事情もあり、すぐに4年制大学へ進学できる経済的余裕がありませんでした。そこでまずは学費負担が比較的抑えられる介護の専門学校に2年間通い、その後に夜間や通信で大学へ編入して社会福祉士の受験資格を得る、という二段階のプランを立てたんです。つまり最初は、医療ソーシャルワーカーになるためのステップとして介護の専門学校を選んだというのが、介護業界に入ったきっかけでした。ところが、実際に現場で働きながら学び、資格を取得していく過程で、介護そのものの奥深さややりがいにどんどん引き込まれていきました。気がつけば『医療の現場に進む』という当初の選択よりも、介護の世界で働き続ける道を自分で選ぶようになり、結果として今のキャリアにつながっています。
「身内にも使ってほしいサービス」を社名に込めて
― 社名「イチロウ」に込めた由来や想いを教えてください。
(水野様)介護現場で働いていた頃、同僚の介護職の人たちが口をそろえて言っていたのが、『自分の両親は、自分が働いているこの施設には入れたくないよね』という言葉でした。当時の自分もおそらく同じように感じていて、それを口にしていた側の一人だったと思います。現場の人間でさえそう思ってしまうというのは、非常に悲しいことであり、本来あるべき介護の姿からズレている状態だと強く感じました。もし自分がサービスをつくる立場になれるのであれば、せめて“身内にも安心して使ってもらえるクオリティのサービス”でなければいけない、というのが自分の中の大前提になりました。そこで、自分の祖父である『水野一郎』の名前をそのまま社名にいただき、イチロウという会社名にしています。祖父の名前を名乗ることで、身内にも胸を張ってすすめられるサービスかどうかを常に自分に問い続ける、そんな初心を忘れないための戒めでもあります。

割引の“ない”サービスを売るという構造的な難しさ
― 事業立ち上げ時の苦労やチャレンジについて教えてください。
(水野様)我々が取り組んでいる保険外介護という領域は、そもそもの市場構造がかなり歪んでいると言えます。国の介護保険制度を使えば、自己負担は1〜2割、つまり実質9割引のようなかたちでサービスを利用できます。その一方で、私たちのような保険外サービスは10割自己負担で、同じような時間単価でも『450円の世界』に対して『4,500円の世界』で戦わなくてはなりません。テクノロジーを活用したスタートアップの多くは、“今までより安く・高品質に”という分かりやすい便益を打ち出せますが、私たちは『割引はありませんが、それでも使ってください』とお伝えしなくてはいけない。その構造的なハンデがある中で、保険制度ではカバーしきれない部分をどう見極め、どこに価値を感じていただけるのかを探る必要がありました。しかも、保険外介護という市場は、誰も本格的に証明してこなかった領域です。本当にニーズがあるのか、ビジネスとして成立するのかが見えないまま始めたため、お問い合わせが全く来ない時期も長く続きました。現場の実感としては困っている方がたくさんいるはずなのに、サービスがなかなか届けられない。『このまま続けて本当に意味があるのか』と不安を抱えながらも、社会問題として報じられる介護離職や、介護疲れによる痛ましい事件を目にするたびに、自分たちの存在意義を問い直し、踏みとどまりながら事業を続けてきたというのが立ち上げ期の正直なところです。
在宅介護と仕事・生活の両立を支える“もう一つの選択肢”
― どのようなお客様が、どのような場面でサービスを利用されているのでしょうか。
(水野様)私たちのサービスの中心は、ご自宅で介護をしているご家族の方々です。『できるだけ自宅で長く生活してほしい』という思いはあるものの、仕事や自分自身の生活との両立のなかで、どうしても家族の手が出ない場面が出てきます。仕事は休めない、でも親の介護もおろそかにはできない、そうした葛藤のなかでお問い合わせをいただくケースが非常に多いですね。介護が必要なご本人に対する直接的なケアはもちろんですが、それと同じくらい重要なのは、介護を担うご家族を支えることです。保険サービスだけでは時間やタイミングが合わず、『必要なときに必要な支援が受けられない』という状況に陥りがちです。そこで我々は、インターネット上で介護職の方を呼べる仕組みを整え、ご家族が自分の時間を少し取り戻せるようなお手伝いをしています。問い合わせの多くは、『働きながら介護をしているが、このままでは心身が持たない』という切実な声であり、その負担を少しでも軽くするための“もう一つの選択肢”としてサービスをご利用いただいています。
“良い介護士さんが来てくれる”と言われるためのマッチング設計
― 数あるサービスの中で、イチロウが選ばれている理由や強みはどのような点でしょうか。
(水野様)お客様からよくいただく言葉は、『イチロウに頼むと良い介護士さんが来てくれる』というものです。インターネット上で完結するサービスではありますが、実際にやっていることは非常に繊細で難しいマッチングです。我々は、直接お会いしたことのないご家族や要介護者の方々と、同じく直接会ったことのない介護士さんを組み合わせる必要があります。その際には、疾患や身体状況、歩行の可否、トイレ動作の自立度といった詳細な情報に加え、介護士側の経験値や得意な業務、コミュニケーションスタイル、性格的な特性など、さまざまな要素を考慮しなければなりません。立ち上げ当初はその難易度の高さゆえに、ご期待に十分応えられず叱られてしまうことも多かったのですが、試行錯誤を重ねる中で、情報を徹底的にデータとして蓄積し、マッチングに活用するという方向性にたどり着きました。現在では、お客様から入力いただいた詳細なニーズと、介護士のスキル・特性データを突合することで、より相性が良く、望ましいケアを提供できる方をご紹介できるようになりつつあります。その結果として、“品質の高いマッチングが行われている”という評価につながっていると感じています。

蓄積した“10数万回分”のデータを、次のマッチング精度向上へ
― テクノロジーの活用について、現状と今後の展望を教えてください。
(水野様)現在のマッチングプロセスでは、詳細に収集したデータをもとに、最終的な判断は人間の目で行っています。ただ、これまでに10数万回分のサービス提供実績が蓄積されており、そのデータを活用すれば、より精度の高いマッチングができる余地はまだまだあると感じています。そこで今後は、これまでのマッチング結果とその後の継続状況、お客様からのフィードバックなどを学習データとして活用し、マッチングAIの開発を進めていく構想を持っています。とはいえ、テクノロジーはあくまで手段であり、目的は“お客様にとって最適な介護環境を整えること”です。データとAIを組み合わせることで、人の経験や勘だけに頼るのではなく、根拠のあるマッチングを行えるようにしていきたいと考えています。
“足りない”と言われる介護人材を、すきま時間で活かす
― 介護人材の状況や、イチロウとしての人材活用の考え方について教えてください。
(水野様)日本には現在、介護系の資格を持ち実際に働いている方が約200万人いると言われています。産業全体で見れば福祉・医療分野は就業者数が3位、女性に限れば1位という規模で、すでに『働ける人はほとんど働いている』とも言える状況です。その一方で、2040年頃には70万人の介護士が不足するとも試算され、深刻な人手不足が懸念されています。私たちのサービスは、フルタイムで働く正社員だけを前提とするのではなく、フルでは働けない方や、家庭・本業との両立を優先したい方が“すきま時間”で働ける場を提供しているのが特徴です。いわばシェアリングエコノミーの発想で、1人ひとりが持つ時間とスキルを少しずつ持ち寄っていただくことで、全体として必要な介護リソースを補っていくという考え方です。実際に、現在では13〜14万人規模の介護士の方に登録いただいており、『すきま時間を有効に活用できている』『自分のペースで現場に関われる』という声も多くいただいています。制度の工夫次第で、まだまだ活かしきれていないポテンシャルがあると実感しています。

一人で抱え込まず、“まずは困っていると手を挙げてほしい”
― ご家族の介護で悩んでいる方に向けて、メッセージがあればお願いします。
(水野様)まずお伝えしたいのは、『一人で抱え込まないでほしい』ということです。介護の入り口としては、市区町村の介護保険課に申請をして、地域包括支援センターなどの公的な窓口で相談するのが一般的な流れです。そこに足を運び、『今困っています』と正直に手を挙げることが、何よりも大切な第一歩だと思います。ただ、公的な窓口の担当者であっても、世の中にあるすべてのサービスを把握しているわけではありませんし、保険サービスだけではカバーしきれない場面がどうしても出てきます。そうしたときには、少しだけ踏み込んでインターネットで情報を探してみたり、私たちのような民間の介護関連サービスに一度連絡を入れてみたりしていただきたいです。イチロウでも、サービス提供だけでなく課題の整理から一緒にお手伝いすることがありますし、相談することで、自分では気づかなかった選択肢が見えてくることも少なくありません。『どこに相談していいか分からない』という段階でも構いませんので、まずはどこか一つ、頼れそうな窓口に一歩踏み出してみていただけたらと思います。
スタートアップにとって“固定費を持ちすぎない”ことの重要性
― クロスコープを選ばれた理由や、入居前に感じていた課題について教えてください。
(水野様)我々のようなスタートアップにとって、固定費をどれだけ抑えられるかは非常に重要なテーマです。資金調達をして得たお金を、長期の賃貸契約や保証金として“ロック”してしまうよりも、できる限り事業の成長のために投じたいというのが本音です。株主との対話の中でも、『オフィスに固定的なコストをかけるより、プロダクトや採用に投資したい』という議論は頻繁に出てきます。そうした背景もあり、会社の規模やフェーズに応じて柔軟にスペースを増減できるシェアオフィスという形態は、非常に相性が良いと感じていました。前のオフィスもシェアオフィスでしたが、さらに柔軟性が高く、成長に合わせて部屋を広げたり、状況に応じて見直したりできる環境を求めて、今回クロスコープ渋谷ネクストサイトを選ばせていただきました。
“共有スペースの開放感”と“設備の充実”が生産性向上に直結
― クロスコープ渋谷ネクストサイトで、特に気に入っているスペースや設備はありますか。
(水野様)まず印象的だったのは、共有スペースの開放感です。広々としたラウンジエリアは、単に座って仕事をする場所というだけでなく、ちょっとした打ち合わせや気分転換にも使いやすく、チームにとって良い“余白”になっていると感じます。また、会議室に備え付けられている大型モニター兼ホワイトボードも非常に重宝しています。以前のオフィスにはディスプレイすらなく、ノートPCの小さな画面を囲んで資料を確認していたので、資料の見づらさや議論のしづらさを感じる場面も多くありました。クロスコープに移ってからは、大きな画面に資料を表示しながらホワイトボードとしても活用できるため、会議の生産性が大きく向上しました。『オフィス環境が変わるだけで、ここまで仕事のしやすさが変わるのか』と、良い意味で驚かされましたね。
在宅介護から法人支援、そしてアジアの介護へ
― 今後の事業展開や、新たにチャレンジしていきたいことについて教えてください。
(水野様)現在は主に在宅介護における介護士派遣を中心としたToC向けサービスを展開していますが、ご家庭の困りごと以外にも、介護事業者側が抱える課題は数多く存在しています。今後は、そうした法人側の課題解決にも踏み込んでいきたいと考えています。日本国内においては、保険制度内外双方の視点から介護を支えるプレイヤーとして、サービスラインナップを広げていくことが一つの大きな方向性です。さらに長期的には、日本で培ってきた介護のアセットやノウハウ、テクノロジーを、アジアを中心とした海外にも展開していきたいと思っています。これから高齢化が進む国や地域は多く、日本が直面している課題は、いずれ他国も経験する可能性が高いものです。介護先進国としての日本だからこそ生まれたサービスやプロダクトを武器に、アジアの介護の在り方づくりにも貢献していけるような、グローバルに通用するスタートアップを目指していきたいと考えています。
イチロウ株式会社
イチロウ株式会社は、介護保険制度の内側だけでは解決しきれない課題に真正面から向き合い、保険外介護という誰も本格的に証明してこなかった領域に挑戦している企業です。水野代表のお話からは、現場で培った実感に裏打ちされた問題意識と、制度の“歪み”を前提にせずに、新しい仕組みをつくろうとする強い意思が伝わってきました。在宅介護と仕事・生活の両立を支えるサービス設計や、介護人材の“すきま時間”を活かす発想は、これからの日本社会においてますます重要性を増していくはずです。また、クロスコープ渋谷ネクストサイトという柔軟なオフィス環境を活用しながら、国内外を見据えた事業展開を構想されている姿は、まさにスタートアップらしい挑戦の在り方と言えるでしょう。クロスコープはこれからも、イチロウ株式会社の皆様が介護の未来を切り拓いていく歩みを、オフィスという側面から全力でサポートしてまいります。
https://corp.ichirou.co.jp/